『やすらぎの郷』脚本家・倉本聰が「故・大原麗子」に寄せる想いとは?

4月にスタートしたテレビ朝日系、

昼のシニアドラマ「やすらぎの郷」が9月29日で終了します。

 

「やすらぎの郷」は

 

放送開始前から、

石坂浩二と元妻・浅丘ルリ子、

元カノ・加賀まりこの共演が話題となっていました。

 

6月には野際陽子(享年81・今も出演中)が亡くなってしまったり、

 

脚本家の倉本聰が主題歌を担当している中島みゆきを夫婦役で出演したり、

 

浅丘の元カレ(松井誠)も出演したりと、

 

現実と創作の入り交じったような

 

サプライズ満載のドラマです。

 

「やすらぎの郷」創設の理由が明かされる

 

9月20日放送で「やすらぎの郷」の創設者加納英吉が亡くなるのですが、

テレビ界に貢献した人だけが無料で入居出来る「やすらぎの郷」を

なぜ作ったのかが明かされます。

 

 

それは、2人の女優の為だというのです。

 

その内の1人が憧れの大女優・九条摂子(八千草薫)、

もう1人の女優というのが、

第2話の会話の中で名前が出た大道洋子という

かつての人気女優。

 

女優・大道洋子(おおみち ようこ)とは・・・

 

大道洋子加納英吉が娘のようにかわいがっていた女優だったが、

仕事がなくなり、心の平衡を失い、

仲間に電話をかけまくるが、話が支離滅裂で訳が分からず、

常識を外れた時間に電話をかけて、延々しゃべるから

次第に、友人たちが電話に出なくなった。

 

すると、彼女は逆上して絶好宣言をして孤立。

 

そして、孤独死。

 

死後、1週間してアパートで死んでいるのが発見された。

 

発見されたとき、預金通帳の残高は200円だった・・・

 

 

大原麗子の晩年が、大道洋子に似ている

 

大原麗子の晩年は・・・

 

1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。

 

1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が

再発したとして芸能活動を休止。

 

ギラン・バレー症候群の主治医が亡くなったあと、

うつ病になってしまった。

 

孤独を癒すために、昼夜を問わず友人に長電話をかけていた。

 

2009年3月頃、

介護が必要な91歳の母を介護施設に預けて一人暮らしを始め、

自宅を売却してマンションへ引っ越すことを考えていたが、

高額であるため買い手がみつからなかった。

 

2009年8月、

自宅2階の寝室の床の上で仰向けに倒れて死亡したとき、

携帯電話を取ろうとして手を伸ばした状態だった。

 

携帯電話までの距離はわずか15センチで、

もしこの時携帯電話に手が届いて電話をかけていれば、

救助されて死なずにすんだ可能性もある。

 

真夏に冷房なしの部屋で死んでいた。

 

行政解剖の結果、遺体は死後3日経っていた。

 

 

やっぱり、似てますよね!

 

 

こんなシーンも・・・

 

ドラマでは、こんなシーンも・・・

 

まろ:「可愛いかったもんな、あの頃の洋子は・・・」

 

大納言:「市川崑さんの撮った有名なウィスキーのCMがあったよなァ。

あの時の洋子は最高だったよね・・・」

 

菊村:「うン」

 

大原麗子CMの声:「すこし愛してながーく愛して」――。

 

 

倉本聰は、1979年に放送された『たとえば、愛』という

TBSのドラマで大原麗子を主役(九条冬子役)に起用し、

彼女のことを非常に気に入っていた。

それだけに、彼女の孤独死には心を痛めていたようです。

 

まとめ

 

やすらぎの郷の創設者・加納英吉がみんなに愛された人が

あんな死に方をするなんてと心を痛めていたという想いは、

倉本聰が「故・大原麗子」に寄せた想いそのもののように

感じながら、ドラマを観ました。

 

 

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